Monday, July 27, 2009

さよなら東南アジア



ここはルアンパバン、ラオス北部の町。

他の街と違い、フォトギャラリーがあったり画廊があったりと、洗練された雰囲気がある。

喧騒もさほど気にならない。

宿は250円/1人ほどのドミトリー。

Gerardがラオスを南下して行ったので、ルームシェアの相方はNills、カナダ人、21歳。

母国での工場勤務をやめて東南アジアを9ヶ月旅している。

バンビエンでは泥遊びで足を滑らせ、唇を切って病院に運ばれたが、

Michaelがよく看てくれたので事無きを得た。

共にラオスを北上してきた仲間、

Michael、Chris、Nils、Gustaf、Stefanie、Nadineとはここルアンパバンで別れる。

自分はこれから中国へ。

また一人旅に戻る。

旅の友としてギターを買うことにした。

Saturday, July 25, 2009

狂った世界


昨日は昼からMichael, Gerardを含む7人程の仲間たちと浮き輪をつけての川下り。

特に望んだわけではない。

何百人の泥酔した欧米人の中でアジア人は自分ひとりになるのは分かっていたからだ。

結局、町から3Km程上流にトゥクトゥクで辿り着き、まずはバケツでウィスキーの回し飲み。

その前にも大瓶ビールを空けている。

泥の中でのバレーボール、レスリング、レイヴィングパーティーが催されており、

棒登りに成功したらカクテルバケツ2杯が無料、そして急流に堂々と飛び込む権利が与えられる。

つまり、

泥酔状態でワイルドリバーに飛び込むことが奨励されているのだ。

結局日が落ちるまでとことん遊んでしまった。

日が落ちてからは、川に飛び込み30分程流され、うまくいけば下流にあるバーの岸に辿り着く。

うまく辿り着けずに流されれば、死ぬだけだ。

自分はうまく辿り着けた。

すばらしき狂った世界だ。

Friday, July 24, 2009

バンビエンの夜

Gerard、バルセロナ出身、26歳、ハノイでボランティア紹介業。

400円程のゲストハウスから250円程のバンガローへ移ると、

彼がレセプションでチェックインしていた。

声をかけると気のよさそうな声で返事が返ってきた。

昨日は朝からバイクを1台レンタルして、近くに真っ青の水のあるラグーンがあると言う噂を信じ、

彼を後部席に乗せ、一日中、泥道を、山道を、走り回る。

日が落ちるとビエンチャンで会ったMichaelを発見し、

結局、最後には自分も欧米人のパーティーの輪の中に入っていた。

先日は彼らの楽しみ方を批判気味に書いたけど、

たまには悪くない。


Wednesday, July 22, 2009

あの世界は何処へ


小説の中の世界はもはや残っていないのだろうか?

ここラオスも、主要な町は欧米人に占拠されている。

似たようなレストランで、同じようなハンバーガーを食らい、ハリウッド映画を見ている。

そのなかからストイックに動いている者を見つけ出し、たまには行動を共にする。

楽しみ方がわかってきた。

ここバンビエンに来る途中、

20Kmほど南に高原に村々が点在する一帯があったので、

そこへ行ってみようかと思う。


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Tuesday, July 21, 2009

首都



ビエンチャン、ラオスの首都。

ここまで寝台バスで共に北上してきたドイツ人と、おそらく界隈では一番安いドミトリーを探し当てた。

Michael、27歳、警官。

寝台バスの中でテンションが上がった彼は、

突然ベッドから起き上がり、キャッシュカードとカメラが無いと騒ぎ出した。

隣に寝ていた私と一緒に3分間ほど探したけど見つからず落胆しかけたのもつかの間、

彼の股の間からカメラが転がり出てきた。

カードは朝探すと言ってまた寝たが、突然彼が、「俺は本物の馬鹿野郎だ!」と言って起き上がった。

何事かと思ったら、しっかりと首からカードがぶら下がっていたのだった。

これから奴とビールを飲みにメコンへ。

明日はMichaelに別れを告げ、北上してバンビエンへと向かう。

日食は見れるだろうか?

Monday, July 20, 2009

あるイスラエル青年の悲劇




彼の名はGerry、イスラエル出身、23歳、元軍人。

昨日は、彼にとって最悪の日だった。

朝に道ですれちがった時には、悲しみと怒りの入り混じったような顔で、

全てのカードが入った財布を落としたと言っていた。

結局、夕方に会った時にもまだ見つかっておらず、

既にあきらめ、父親にイスラエルからハノイまで来てもらうお願いをしたところだと言う。

こういうことは、自分に身に覚えがある。

彼とはドンデット到着の初日に一緒に夕飯を食った仲だ。

ハノイまで行く金はぎりぎりあると言うが、

イスラエルマネーなのでUSドルにもラオスキップにも両替できないらしい。

晩飯をおごると言ったが、遠慮してしまって首を縦に振ってくれない。

これから自分はビエンチャンへと発つが、

とりあえずそれまでの間は、彼を見つけて腕時計でもあげよう。


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Sunday, July 19, 2009

何もない生活



バンコクから夜行列車に揺られ12時間、さらにバスと車で6時間。

ようやくラオス最南部のシーパンドンへ到着。

電気がない生活。

これからラオスを縦断し、中国は雲南へ。